絶望の先にあったもの⑨

 

千葉県松戸市 オレンジェル
見えない心を「見える化」スペシャリスト 髙井 祥子です。  

32歳の時。

不妊治療以外の精神的ストレスにより、
不妊治療ができない状態になってしまい、
心理カウンセリングを受けることに。

それから半年間、仕事以外は何も出来ず、
ただ淡々と過ごしていた時。

勤務先の看護師さんが背中を押してくれて、
紹介してもらった京都の不妊治療専門病院へ
思い切って転院し、不妊治療を再開しました。

小さい頃から頑張ることが好きで、
父に似てコツコツ努力することが好き。

自分で言うのもなんですが、
私はものすごく真面目な性格でした。

不妊治療を始めるまでは、
大抵のやりたいことは、頑張れば成果は出てきたし、
結果は出なくても、やりがいは感じられるものだ!
と信じていました。

だから、小さい頃から机に向かって
勉強することが好きだったし、
お稽古ごとも日曜日以外、楽しくて毎日通っていました。

でも、
どんなに体質改善しようと努力しても、頑張っても、
妊娠できない。

善くなると信じていた日本の医療で、
どんなに頑張って通院しても、

痛い思いをして何本も腕やお尻が腫れるぐらい注射しても、
毎月、全身麻酔をしてフラフラになって採卵しても、
卵胞の中に卵子が入っていなかったことの方が多かったんです。

麻酔から目が覚めた時、一瞬で希望が砕け散りました。

でも、ここまでの治療費は払わないといけない。
この頃はまだ保険適用がなく、全て自費扱いでした。

顕微受精で、妊娠率30%と言われていた時代です。
(今もこの確率はほとんど変わらないらしい)

何を信じたら良いのか、分からなくなりました。

この頃の私には
妊娠がゴールになっていて、
支えてくれていた主人にも両親にも

「私は死んでも構わないから子供を産みたい。
 主人に赤ちゃんを抱っこさせてあげたい」

と言っていました。

「私は妊娠できないから、申し訳ない。
 離婚して他の女性と再婚した方がいい」

と、何度も主人に言いました。

主人の方は、自分が経験するまで
「子供作らないの?」とか
何も思わないで人に言ってたけど
「こんな経験をしていなかったら、
 相手の気持ちに気付けなかった」
と。

私達夫婦にとっては、貴重な経験にもなっていました。

私の状態を見かねて

「少し治療をお休みしたら?」

と言う医師や主人の言葉にも
私は一切、耳を貸さない状態でした。

両親が言うには、
私は10代の頃、反抗期が無かったみたいです。
もしかしたら、この時が反抗期だったのかもしれません。

今治療をお休みすれば、それだけ歳と取って、
妊娠する確率は下がるから。

周りが見えなくなって
気力だけで治療を続けていました。

 
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高井祥子髙井 祥子
Sachiko Takai

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